慌てず急げ
たらこ@hmd_tarakoです。
僕は似てる言葉や混同されやすい言葉の違いを調べるのが好きだ。言葉に対してそういう見方をするようになったきっかけの「慌てず急げ」という言葉から、何を以て区別できるのか、区別した時に何が考察できたかを書こうと思う。
この記事は「慌てず急ぐとどうなるか」という内容ではなく「『慌てる』と『急ぐ』を区別してみる」という内容です。なお、考察は僕個人が持っている仮説で根拠に僕の主観が大いに含まれます[独自研究]。
意味を区別する
言葉には意味が複数あったり変化したり文脈によって新たに付加されたりと、常に「これが正しい」といえるものではないので言葉の意味を固定するのは言葉の使い方を考える上で時には意味がないこともある。
僕の立場として、自分に対しては可能な限り言葉は区別して表現を使い分けようと思っている。一方で、他人が混同しているのを見たなら区別するよう指摘するのではなくどの意味か確認する所から入るつもりだ。
人が会話する中では意図が伝わることこそが重要で、言葉を固定するのは伝達が実現するための予め用意できる手段の内の1つにすぎない。言葉の意味の差による表現の違いが些末であれば混同は無視しても良いと思う。
しかし多くの言葉がその意味で使われるには経緯があり、似たり混同されやすい言葉同士の差が何なのかについて注目して比較すると面白いと思っている。混同できるような言葉を、あえて区別して使うことによってできる主張があるのではないか?言葉が1つで大きな意味を持つとしたら、似た言葉同士の差というのはとても小さく、その差を表現に使えば細かな表現ができるのではないか?
「慌てず急げ」
「慌てず急げ」という言葉を聞いたことはあるだろうか? 一般的な表現だし僕もどこかで聞いたことはあるのだろうけど、意識して最初に聞いたのは中学の国語の授業の時だった。
印象に残っている言葉?座右の銘?正確なお題は忘れてしまったが授業でクラスの1人1人がそれぞれ選んだ言葉を発表する課題があった。クラスのある男子*1の選んだ言葉が「慌てず急げ」だった。彼の親御さんが使っていて彼の心に残った言葉らしい。この言葉の意味は「急いでいても平静は保っていなさい」という教訓に近いものだ。
結果的にこの言葉は僕の心にも残った。言葉の意味もそうだが、言葉の構造により関心があった。
辞書的意味
言葉をよく知るためには辞書を引くのがよい。それに加えて、僕は普段単純な言葉の差を調べる時は英単語への訳の差があるかどうかもついでに調べる。たいていは別概念であれば訳語も異なる*2ので別概念であることへの信用が増す。
急ぐ
早く目的を達するように行動する。早くやろうとする。
時間に注目して、早く行動しようとするのが急ぐ。英語だと hurry とかに相当しそう。
慌てる
思いがけない物事に出会って、ふだんの落ち着きを失う。うろたえる。狼狽 (ろうばい) する。
精神面に注目して、落ち着かなくなっている状態が慌てると言えそう。英語だと (be) panic とかに相当しそう。
焦る
早くしなければならないと思っていらだつ。気をもむ。落ち着きを失う。気がせく。
実は「急ぐ」「慌てる」の他に「焦る」もこれらと混同されやすい。これも辞書的意味を調べておくが、今回はこれ以上触れない*3。これも精神的な状態で、急がなければならないといらだっている*4のが焦る。英語だと (be) impatient とかに相当しそう。
「急ぐ」と「慌てる」の結びつき
辞書的意味を見てみると「急ぐ」と「慌てる」は注目する面が全く異なる言葉と気付く。しかしこの2語の意味が日常的に使われている時に無関係とも言いがたいように思う。「急ぐ」と「慌てる」が別の言葉というのは分かっているので、この2語がどういう関係なのか、この2語を結びつけるものはあるのかを探す。
字を見る
字を見ると「慌」の部首は「忄」ですなわち心だ。だから「慌てる」は精神面の意味なんだな、と決めるのは急ぎすぎで「急」も部首が「心」だ。
「急」の字は「いそぐ」の他にも「せく」の読みがある。「急く」と読む場合は、早くなる意味もあるがふつう精神面での焦りの意味で使われる。さらに「急く」が「急かす」になると「急がせる」と同じような意味に戻り時間的な意味が強くなる。
「いそぐ」と「せく」のどちらが先にその読みをするようになったかは調べていないのだが、「急」の字が時間面と精神面のそれぞれの意味の読みを持っていること、「急く」と「急かす」が活用の違いだけで意味を切り替えてることから、両方の意味の間に強い関係があるんじゃないかと思う。
急いでいる・急がなければならない状況にある場合には心が落ち着かなくなるものだと考えるのが自然なはず。
入れ替え可能な機会の多さ
入れ替えても自然になる言葉同士は意味が似ていると言っていいのではないだろうか。
ここで「急いでいる時は慌てていることが多い」と仮定すると、「急ぐ」と「慌てる」を互いに入れ替えても自然になる文章が多いことになる。入れ替えても問題がない言葉は意味が似ていると見なされているんじゃないだろうか。
ある状況を指して
- あの時私は急いでいた。
- あの時私は慌てていた。
のどちらでも意図する表現になると思っている人にとっては、「急ぐ」と「慌てる」は似た言葉だと思うんじゃないだろうか。更に言うと相互に入れ替え可能でなくても、「急いでいる時は必ず慌てている」のように強い仮定で断言をすると「急いでいた」は「慌てていた」に常に入れ替え可能となり、入れ替え可能な言葉は似ている言葉だと認識する人にとって極めて似た言葉と思うんじゃないだろうか。
混同されやすい言葉はそれらの言葉の入れ替え可能な機会が多いと僕は考えている。(「急ぐ」と「慌てる」が似ている・混同されやすい言葉だと言いたいわけではない)
撞着語法風表現としての「慌てず急げ」
撞着語法
「明るい闇」とか「小さな巨人」のような矛盾する表現を組み合わせた表現は撞着語法(オクシモロン:oxymoron)と呼ばれる。
急ぐことに関する撞着語法の言葉は、例えば「急がば回れ」や「ゆっくり急げ」がある。「急ぐ」と「回る(回り道をする≒時間をかける)」や「ゆっくり」が矛盾している。分解した時の意味に矛盾があるだけで、実際にはその言葉全体で矛盾に影響されないような新しい意味を持っているので不都合はない。あえて矛盾するような言葉をくっつけるのは特徴的な表現になって面白いのだろう。
撞着語法風表現
慌てないことと急ぐことは両立できるので「慌てず急げ」は撞着語法ではない。「急いでいる時は慌てている」という前提をおけばその前提を打ち消そうという言葉として撞着語法になっているとも考えられる。撞着語法もその言葉の外に条件や背景があるものなので、例えば「食べるラー油」とか「飛べない鳥」も広い意味で撞着語法になっていると思っている。
似ている言葉同士の片方を否定してくっつけるとそれだけで撞着語法風表現になると思うんだよね。
似た言葉同士の差というのはとても小さく、その差を表現に使えば細かな表現ができるのではないか?
「否定してくっつける」とはまさに差を取る行為なので上述のこの期待にも関係している。
さいごに
「慌てる」の意味で「急ぐ」を(あるいはその逆で)使ってはいけないということはなく、入れ替えても自然に文が成り立ち意図が伝わることも珍しくない。しかし「急ぎなさい」と言うことはあっても「慌てなさい」と言うことがほとんどないように、意味の違いを全く認識していないということもないだろう。
「急ぐ」と「慌てる」に対して結びつきがあることを感じているからこそ「慌てず急げ」といった表現に繋がり、言葉と言葉の差の部分を使いこなすことになるのだと思う。そういった表現をよく理解するためにも言葉をよく区別できるようにありたい。
それにしても「急ぐ時は心を落ち着かせなさい」型の言葉は色々あるものだ。急いて事を仕損じた人が多いのだろう。