ひとみとむかで
これはホシハウス Advent Calendar 2022 - Adventar 18日目の記事です。18日目担当のたらこ@hmd_tarakoです。
17日目はまっちゃくんの『ゆうやけこやけ強さ議論スレ』の予定でしたが……?
さて、18日目の担当者が決まらなかったので急遽差し込みを決め、たった今投稿です。
日本語と英語で、時間と場所の離れた人が同じようなこと考えてるとしたら面白いねという話をします。
ひとみ
ひとみは目の虹彩の中心の黒い部分。文脈で単に黒目の部分を指すこともあるけど、ふつうは瞳孔のことであり孔の部分を指す。
pupil
ひとみは英語でpupil。カタカナ発音ならピューピル。pupilは他に「子供・生徒」といった意味もある。
元はラテン語に由来して「子供・生徒」の意味がまずあった。他人の目を見るとひとみに自分の姿が反射して小さな人として映る。その小さな人が映る様子からひとみのこともpupilで表すようになったらしい。
瞳
ひとみは漢字で瞳と書く(眸もひとみだけど一旦おいておく)。
瞳は目と童からなり、目についての意味で童がドウの音を担っている。また、童が子供の意味であるから目に映る子供と捉えると何やらpupilと似た関係が感じられる。
目に映る小さな人
pupilも瞳も昔に「目には小さな人が映る」と考えた人がいたのかなと考えたくなる。 今の日本ではもっぱら子供の意味でしか童は使わず瞳の字が成り立った頃にもそうだったのかが僕には調べられなかったので断言はできないけども。
きっとpupilに倣って瞳が、あるいは瞳に倣ってpupilが生まれたということはなく、別々の時代の別々の場所で生まれた言葉たちの共通点と考えると不思議な気がする。
むかで
むかでは節足動物の一種。僕にとっては日常で見たくない生き物である。
百足
むかでは漢字で百足、蜈蜙、蜈蚣、蝍蛆などがあるらしい。普段は百足の当て方をよく見ると思う。僕は他の当て方で急に出されると読めるか怪しい。
百足の当て方で話を進める。むかでは実際足がなんかいっぱいあり、その様を百本の足の意味で百足の字を当てたのだろう。
centipede
むかでは英語でcentipede。カタカナ発音ならセンチピード。この centipede は centi と ped から成る。
centiには「100」の意味がある。近い語には
- 1/100メートルである centimeter(センチメートル)
- 1/100ドルである cent(セント)
- 1世紀=100年である century(センチュリー)
などがある。
pedは「足」の意味がある。近い語には
- 手にする manicure*1(マニキュア)に対して、足にする pedicure(ペディキュア)
- 足でこぐ pedal(ペダル)
- 徒歩の歩行者である pedestrian(ペデストリアン)
などがある。
要するにむかでのcentipedeも百の足の意味で出来上がったものであろう。
足が百本のむかではいない
むかでも多く種類がいるので様々な足の本数のむかでがいるそうで、しっかり数えたとしても足が100本とは限らない。それどころかそもそもむかでは分類上足の本数は奇数対であるため偶数対である100本(=50対)のむかではいないそうだ。
じゃあどうして百足もcentipedeも「100」なのかというと、「そこそこ多いたくさん」を表現するのに100というのは日本語も英語も共通していたのだろう。 日本語では他になんか数がいっぱいあることには8や1000や800万みたいな数値を使うことがあるけども、何にせよ日本語でも英語でも「100」は「いっぱい」なのだ。
おわりに
日本語とか結構外来語に由来して取り込んだ言葉なんかがそこそこあるものだけど、そういうのではなく全然別の時代・別の場所で同じようなことを考える人はいるもんだなと考えると面白くないですかね。
アドベントカレンダー次回予告
日付変わりまして、今日はいんげんくんの『ちゃんとなんか開発してその話をする』です。だい、じょう、ぶ、かな……?進捗ヨイカ?
*1:手にするmanicure:manual とか manufacture とかの manu- は「手」。