ゲーム制作サークルでゲームを作らなかった話
これは ホシハウス Advent Calendar 2020 - Adventar 18日目の記事です。18日目担当のたらこ@hmd_tarakoです。
昨日はあーさーくんの筋トレ初心者はどこから鍛えるべきか?でした。デカい筋肉なら筋肉量の変化も大きい、聞いたことがありますね。僕は腰痛対策に…スクワットを増やそうかな。
さて、僕は僕がゲーム制作サークルでゲームを作らなかった話をします。作ったか作ってないかで言えば作ったんだけど。いや、やっぱり完成させたゲームは無かったので作ってないですね。
とはいえ、サークルで何もやってなかったか?というと別にそうでもなくて…という話を書きます。大学1年生が7年前ってマジ…? 結構記憶も定かでない部分も出てきています。
ゲーム制作サークル
※ここからの内容は僕の在籍当時(2013年~2016年)の話なので現在の状況とは異なる場合があります。
電気通信大学にX680x0同好会というゲーム制作サークルがあって、大学在籍中の4年間そこに所属していました。文字で書けば「x68」、読みで言えば「(ペケ)ロッパ」と略して呼ぶことが多かったです。以下、x68と書きます。
めっちゃデカいサークルで、在籍人数が3桁ぐらいいるような所でした。立場はサークルで名前は同好会だけど、だいたい「部」扱いでしたね。部員・部長・部会・部室・部費…
x68は大きく3つのグループ
- PG(プログラム)班
- 絵班
- 音班
がありました。
毎年新入生に対してプログラムの書き方、絵の描き方、音の作り方を教える講座を開いていて、どの講座を志望したかで班の所属が決まっていました。(厳密に活動を制限するものではないので講座の後は各人の気持ち次第でしたが)
ところで、我らがホシくんはPG班でした。言い忘れてたけどホシハウスのメンバーも何名かがx68の所属経験があります。
自分語りパート
どうしてx68に入ったか
x68に入った主目的は、プログラミングする理由が欲しかったからですね。
他にもプログラミングに関係するサークルはありましたが、当時は東方や洞窟物語が1人で制作されてるという話に感銘を受けてゲームを作ることに興味もあったので入るならゲーム作るサークルだなあと思いつつ、入るかどうかは決めかねていました。
4月の新歓(新入生歓迎)期に複数サークル合同の説明会があって、「とりあえず行ってみるかあ」と思って行きました。そこで同じクラスの同級生*1から入るつもりと聞いて、じゃあ僕もここに入ってみるかと決めた次第。
1年目
夏休みまで
PG班を志望して講座を受けました。その後は先輩たちが設けたゲームジャンルのグループに分かれて、具体的なゲームの中身を決めつつ制作をして夏休み直前の部会で発表会をやります。
僕はタワーディフェンスのグループに入ってあれこれしていました。発表会には到底完成とは言えない出来のものを出しました。「デバッグモードがめっちゃ面白い」みたいな感想を貰いました。わかる。
ある先輩に意図は分からないけど「これは完成しないね!」と言われて、そういうもんかと思ってそれ以降そのタワーディフェンスのプログラムは書かなくなっちゃった。
春休みまで
Twitterとか大学の課題とかやっててゲーム作りなーんもせんかった、確か。それでも部会にはいつも行ってたし、部会後に遊戯王とかもしてた気がします。こんだけ人がいればカードゲームやってる人も多かったんですよね。
調布祭*2のサークルの展示の運営の手伝いとかありましたね…当時はバドミントンサークルにも所属していたので、そっちの売店の手伝いと掛け持ちだったかな。
調布祭が終わると来年度の新入生の受け入れのための準備が始まったり…翌年はパズルゲームのグループを担当することになりました。教える側がパズルゲームを作れないことにはどうしようもないので、メンバーそれぞれがテトリスを作りました。僕はホールド有りで1人でずっとプレイできるテトリスまで作ったけど、T-Spinみたいなのは実装できなかったので未完成です。他メンバーもそこまではやらなかったけど。
試験が終わったりすると試験問題を共有したりしてました。基礎科学実験Aで秀を取ったレポートを見せびらかしたかったのでそれも置きました。あの辺のまだ残ってるのかな…今ってサーバーの管理とかどうなってるんだろうね?
2年目
夏休みまで
新入生歓迎のピザ会のためのピザを某ピザ店から徒歩で運んだりしましたね…パズルゲームに入ってきた新入生はつよつよだったので特になんも教えんでよかった(たしか)。
夏休み直前から
先代の会誌編集長*3からの指名で会誌編集長になりました。調布祭で頒布している、部員が思い思いに文章を書いてそれを大量に印刷した冊子の制作責任者になりました。なってしまった。
- 部会で毎回執筆者募集と催促をしたり
- 自分も記事を書いたり
- 用紙を数千枚発注したり
- 調布祭直前には印刷設備を借りる申請をしたり
- 執筆者から貰ったデータを柱書をつけながらPDFに結合したり
- 印刷機の前に張り付いて丸一日かけて印刷したり
- 印刷物を部会参加者を動員して製本したり
みたいなことをしましたね!!
夏休み中
1年目には行かなかった夏の合宿に参加しました。1日でゲームを1本作る企画に参加しました。某お掃除ロボットに乗った猫を操作して部屋のマスを全て通って戻ってくる一筆書きパズルゲームを作りました。大先輩が1日で複数個作るという離れ業を披露していたのですが、その中に一筆書きパズルがあって、ネタが被ってしまったと思いましたね。その先輩に僕のパズルも自動生成できるはずと言われて(僕が発表した時点ではパズルマップは手打ち)、しばらく考えていたけど図形変換のアルゴリズムが閃かなくて諦めてしまいました。未完成。
調布祭後
3年生が部の役職を担っていました。そして調布祭を区切りに世代交代をしていました。
なんか知らんが周りがめっちゃ役職推薦してくる…やめろ…副部長、副部長ならいいか?副部長に立候補して他の役職の回避を…
えっ!ダメ?なんで?なにか見えない力が働いている…
講座長になりました。新入生が受ける講座の責任者です。
ゲーム作ったことないのに講座長っておかしいと思いませんか?あなた。
— たらこ (@hmd_tarako) 2015年8月21日
講座準備
調布祭後(12月)からずっと講座の準備。
ところで、x68は人数がめっちゃ多いが幽霊部員もめっちゃ多かった。毎年40人ほど新入生が入るが夏休みを越えるといつの間にかいなくなっているのだ。怪奇!夏休み前の発表会を終えると霧散してしまうのだ。
調布祭で毎年ゲームを出しているにも関わらず新入生が作った作品がとても少なかった。例年の「新入生にゲームの作り方を教える」はもちろんとして、調布祭まで生き残って欲しいな~という目論見を講座長権限で講座に入れることにした。
PG・絵・音の班にそれぞれ長がいます。前述の世代交代の時に同時に代わりました。長たちと相談して講座のスケジュールを決めて、各長たちはそれぞれの班に来る新入生向けの講座の構成を考えて、といった感じでした。
講座はそれまで発表会含めて7月に終わって、そして夏休みに入るスケジュールでした。
これを発表会を簡易なものにして、代わりに新入生同士のチームの編成を組む回を入れて夏休み以降チームで制作する形にしました。調布祭にチーム制作作品を出してもらう所までを事実上の「講座」の期間にしました。それだけ僕の責任期間も伸びるわけですが…そんなこんなで、全体スケジュールを長くする計画にしつつ、各班の講座はそれぞれ各班で準備と練習が進んでいました。
ところでPG班の長は我らが .。:+゜゜+:.。.:+☆ホシくん☆+:.。.:+゜゜+:。. でした(伏線回収)(つよい)(天下無双)(ありがとう)。
3年目
講座+チーム制作
大体計画のスケジュール通りに進められました。新入生の人数と希望の班(PG・絵・音)の割合が読めなかったので心配だったけど、まあ計画の進行に問題のない範囲だった。実際に講座を受けてくれたのは(班分けの志望を出した人)は50人弱でした。
PG班の講座の後で、できる新入生がfor文がいまいち分からない別の新入生に教えてるのを見て、for文は
ってやるのと似てるんだよ~って教えたら「なんで(PG講座の)講師やらないんですか?」って言われたのをよく覚えてます。僕もやりたかったけどやってる場合じゃなかったんだわな~
x68内でプロジェクタを使ってスマブラ大会したりしましたね。電通生のハンドルネーム(Twitterのアカウント名か?)使用率は非常に高いので大会参加者も結構ハンドルネームで参加してくれました。互いに名前を知れたらなあと思って企画しました。
そういえば名札とか作ったわ!俺が講座長だ。
なんかトラブルも色々あったけど忘れちゃったね…大変だったのは覚えてます。
大学の授業もそこそこ大変だったしね。
ゴールデンウィーク
記憶が正しければ、ゴールデンウィーク直後に今作ってるゲームを上級生が発表する会がありました。そこでアクションゲームっぽいのを出しました。ロックマンXっぽいのを作りたかった。絵と音は自分で作っていました。音班の人に初めてにしてはすごくまともみたいなコメントを貰った覚えがあります。
気付けばこの発表会に間に合わせるために頑張っていて、その後触っていない…未完成。
夏休み中
夏の合宿に参加。1日で1本企画にも参加。さけるチーズが避ける(激ウマギャグ)だけのゲームを作った。直前にかけたPCのアップデートで音系のトラブルが起きて直すのに手間取りなんとも言えない出来。未完成。
調布祭まで
度々先輩からチーム制作の様子見てねとは言われてたけど実際はあんまり見てなかった。当時の新入生各位、スマン。
新入生のチームから3作品の展示がされました。新入生が出さなかった年と比べると無限倍ぐらいありますね。実際0か1かみたいな数の頃を考えると、よくやってくれたなと思います。シンプルに完成度も良かったですね。
あー、終わり終わり。
会誌編集長やってからの講座長は先輩にかわいそうな目で見られたりもしたけど、なんとかなりました(ならなかったこともある)
— たらこ (@hmd_tarako) 2015年11月16日
なろさんに役職飲みで可哀想なものを見る目で見られて始まった講座長もこれで終わったんやなって。
— たらこ (@hmd_tarako) 2015年12月14日
4年目
ちょろちょろっと部会とか出たのと、あとは部室の鍵を返しに行ったぐらいだったかなあ…1個下の代の講座の様子とかもっと見とけば良かったんだけどね。その頃は研究室と家を行ったり来たりだったからね…
卒業研究の題材が院進学したx68の先輩と被ってて「!?!?!?!?」となったりしたこともありましたが、お互い無事卒業しました。
やったこと
作りかけたゲーム
- 1年生:講座で作ったタワーディフェンス
- 1年生:講座前の練習で作ったテトリス
- 2年生:夏合宿1日制作で作った一筆書きパズルゲーム
- 3年生:BGMも作ってみたアクションゲーム予定だった何か
- 3年生:夏合宿1日制作で作ったさけるチーズのミニゲーム
完成させたゲーム
なし
受け持った役職
- 2年生:会誌編集長
- 3年生:講座長
今どうなってるの
x68ももう色々体制が変わってそうだなあと想像しつつ、実際どう変わったんでしょうね。少なくともPG班は僕のいた頃は大先輩が作ったDirectXを動かすライブラリ(DXライブラリでない)を使ってC++で書いていましたが、Unityに移行したという話を聞いています。それに、今年は大学に入ることのできない期間も長く大きく違う環境になってると思います。いい感じになってると良いんですが。
さいごに
ゲーム作らなかったのはやる気が足りないからだよ。
それはそれとしてx68で仲良くしてくれた人たちありがとう。講座で動いてくれた先輩・後輩・同期各位ありがとう。あと「灼熱ごっこして!」って言ったら弐寺の皿をキュキュキュキュってやる物真似やってくれたx68音ゲーマー各位ありがとう。
アドベントカレンダー次回予告
明日19日はけーるくんが日々の心がけについて書いてくれます。一体どんな心がけをしているのでしょうか。
ところでアドベントカレンダーは日付が変わると公開するのが普通だそうです!!(21時間遅刻)
前の人の記事に言及するパートが書けませんという苦情が約1名から僕宛に寄せられています。